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そういえば新歓の時にいたかもなあ、と誰かが言ったけれど、わたしには全くピンと来なかった。
それもそうだ。どうせ数ヶ月もすれば大半が消えるだろうと見て、4月の間は新入生の顔も名前も碌に覚える気が無かったのだから。案の定5月に入るとあんなにいた後輩たちは嘘みたいに減っていって、正式に書類を提出してきたのは新歓の日の半分以下じゃないかと思う。去年のわたしはそうとも知らず、序盤から何十人もの「元」同期を無駄に記憶してしまった。そのせいで今も、こちらが一方的に認識しているだけの挨拶未満な関係性がキャンパス内にうようよしており、どうにも歩きづらい。
その反省を活かし現在まで余計な記憶のリソースを割かずにいたわたしだったが、さてそろそろ名前でも覚え始めようかと思う程度にメンバーが絞られてきた日、夏の一歩手前で、松田はぴかぴかのニューフェイスとして現れた。
小慣れた申し訳程度の挨拶で入室をし、いつもの場所と言わんばかりの堂々たる着席を代表の椅子にかましたことでOBと勘違いした先輩もいたそうだ。どこか生気のないぬらりとした出で立ちもその信憑性を高めていた。後から来た代表がからからと笑い飛ばしていなければ、彼の「面白いやつ」としてのオイシいデビューは無かったと思う。
けれど、と言っていいのか、むしろ大方の想像通り、それ以降活動日に松田が来ることは稀だった。段階を踏んで徐々にフェードアウトした者も多くいる中でそれにならなかっただけ意外要素の方が強いかもしれない。松田は幽霊直前の超低頻度で“来ては”いた。聞くと同期の誘いに応じる事も殆んどなく、授業も単位取得のすれすれで姿を見せる程度で、のらりくらりしているという。
もうとっくに最初の印象は書き換えられていて、なんならとっつきにくいだとか掴めないといったマイナス寄りの認識が為されているようだった。それでも突き放す事なく同期会に誘い続けていたという事実を知り後輩たちを少し見直したが、見る度に髪色や服の系統が変わる彼ら彼女らの名前は、誰一人としてわたしの脳には記憶されていなかった。
長い長い休みの間、わたしは涼しい日を見計らって2回だけ活動日に顔を出した。
どちらも普段の20%くらいの出席率で、代表だけがどちらにも居た。もはやただの小旅行である合宿の参加率はかなり良いそうだったが、今年は気分で欠席の連絡をした。行かなくても責められたりはしない。だってわたしも去年の不参加が誰だったかなんて覚えていない。各々が目の前を楽しむことだけ考え、手の届かない場所は“無”として認識を放棄する、それが大学生という生きものだった。
かく言うわたしもれっきとした大学生なので、例に漏れずバカみたいに夏を満喫した。浮いた合宿代で映画のお供のポップコーン(もちろんキャラメル2倍)にプラスしてアイスクレープを買ったし、感動したから謎のテンションでキーホルダーも買った。行きたかったテラス席のカフェでちょっと気取った感じの写真も撮れたし、テーマパークではショーの場所取りを頑張って最前列でハチャメチャに濡れた。キッズモデルの頃から応援していたインフルエンサーの子のワンピースを衝動買いして、キュートすぎる壁掛けインテリアが部屋に増えた。
合宿当日、遠く離れた同期たちははしゃいだ様子の動画を24時間の時限式で文字通り三日三晩追加し続けた。そこへは次第に先輩後輩が混ざり込み、ぐちゃぐちゃになって、最後の方はもはや誰も映らず笑い声だけの真っ黒な画面になっていた。後悔しているとかではなかったけれど羨ましさを認めたくない自分がいて、その日の夕食は少し食べ過ぎた。
後日、恒久的な方の形式でアップされた集合写真にはわたし以外の欠席者も多くいたようで少し安心した。けれど、それでもどこかざわつく胸に平穏が戻ったのは、そこに松田の姿が無いことをしっかりと確認した後だった。
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