ぼろぼろの最中(もなか)


頂いた最中(もなか)が想像以上に貧弱で笑ってしまった。


もちろん人間として、頂きものへのマイナスな感想は極力避けるべきであるという最低限のモラルは持ち合わせてる。実際めちゃくちゃ美味しかった。でも想像以上に貧弱だった。


くだんの最中は小ぶりながらも分厚くてずっしり。見るとあんこと一緒にお餅が入っているとのことで、ワクワクして開けた。もちもちのお餅を確認したくて、食レポのVTRよろしく半分に割ろうとしたその時、

最中が粉微塵に砕け散ってしまったのです!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

半分ではなく、ひび割れでもなく、割ろうとした親指からパラパラと、サラサラと、文字通り粉微塵に。


ちからか…?私の“力”のせいでこのような悲劇が…?

と、根は優しい怪物みたいなこと考えながら、厨二病バトルマンガの主人公みたいに自分の手の平をワナワナさせながら見つめてしまった(誇張なし)。

まあでもこれは、最中が貧弱だからということにする。

チルドカップの飲み物についている、引っ張って伸ばしてから挿すタイプのストローを、ここ数回100%の確率で真っ二つに引っこ抜いてしまっているけど、女子である自分のか弱さを信じることにする。


そして先述のとおり味はめちゃくちゃおいしかったし、お餅のおかげもあって満足度もとても高かった。

ただ、私の食べたそれはもはや「最中の粉がまぶされた、餅入りのあんこ玉」だったのだけれども。


ああでも、割れるならパリッと大ぶりに割れてくれと伝えるべきだった。既に胃の中どころか完全に消化されきってしまってるし、頂き物だからもう出逢うことも無いだろうけど。

歯を入れたときの軽快な音も楽しむ要素の一つだと考える人間なので、純度100%で味に感動できなかったのが悔しいポイント。

……と、こんな事を書いておきながら。

多様性だなんだと言われるこの時代、最中に「らしさ」を求めるのはナンセンスかもしれない。最中はパリッと割れるもの、その考えは凝り固まっている古臭い考えかもしれない。

貧弱と称した脆さも、人によっては繊細さ、口当たりの良さという誉め言葉になることだってある。そもそも手で中央から真っ二つに割ることを想定して作られていないだろうから、そのように扱ってしまった私にも非はあるのかもしれない。


何が言いたいのかって、なにも無いですすみません。

別に腹が立ってるとか、批判したいとか、頂き物を自慢したいとか、特別な意図なんてものございません。

このエピソードを友達に話すなら冒頭の一文で終了だし、むしろ話す価値も無いくらいのちっぽけでくだらない内容。1000文字も2000文字もだらだらと補足しない。

ただ、粉々に崩れゆく最中を目の当たりにしていた当時を反芻して文章にしようとすると、とんでもない量の考えが巡るんですよね。なのでこの記事は言うならば、何かを伝えるためではなく、頭の中を書き出したもの。

いっつも私はこんなことを考えながら、ぐるぐるぐるぐる、一日を過ごしているのです。

最中一つでこうなんだから、そりゃあ人生は楽しいし、時の流れは恐ろしく速いわな。


そんな爆速人生の中で、か弱き乙女の繊細さは果たしていつまで失われずに過ごせるのか。

失うほど持ち合わせていないなんて言葉はひねり潰させていただくとして、造りの甘い、ペットボトルかなにかのスクリューキャップを締める際にはつい回しすぎてバキッとゼロ位置に戻りがち(伝われ)な私だけれども、それなりに、しとやかに、生きたいと思います。


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