極楽浄土はひとつじゃない


ユートピア、桃源郷、或いはパラダイス。


ずーーーっと前になりますが、私にとってのその場所、その中のひとつに行ってきました。名前は『パクチーバル8889』。

パクチーバルってだけでも行く価値が大いにあったがなんとこちら、



昼はフクロウカフェでもあるのです。



夜のバル営業ではしっかりとケージに入っているので衛生面は心配なし。

パクチー料理(これまためちゃくちゃ美味しい)を食べながら酒を飲みながら、可愛いフクロウちゃんを心ゆくまで愛でられるってもう。もう!


最高オブ最高!!見つけた私のシャングリラ!!ここがそう楽園さ!!!!



皆さんにもぜひ行ってみてほしいのだけれど、でも理想郷ってのは人それぞれなのでね、皆さんも各々のステキドコロを探してほしいし、何なら人様の元気スポットの話とかたくさん聞きたい。



そういう場所って、あればあるだけ良いよね。


趣味とか依存先とかもそんなようなこと聞くけど、本当にその通りだと思う。あればあるだけ良い。こんなんなんぼあっても困りませんからね。


日本というお国柄か、古来の伝統などを重んじる延長で“一途”とか“一本気”がよいとされている節はあるけど、

娯楽に限ってはそうじゃないと思うんだ!ビバ多趣味、レッツ増やそう依存先。



理由としては、ひとつに固執しすぎているといざそれを失った時に自分も行き場を失って崩れてしまうから、といったものがある。というかそれが全て。

でもそうすると、自己を犠牲にしてもいいからとひとつだけを愛し続ける人がいるでしょう。

いや待てと。



自分だけでなく相手を思いやるという意味でも依存先は多い方が良い、と思うのです。



そのもの、それひとつを愚直に愛する、これ自体はとっても素敵なこと。


でも、ホースの先を潰すと水の勢いが増すように、ひとつを惜しみなく愛そうとすると人は誰しも口径を絞ってしまいがちなんですよね。

同じ質量でも口が狭いほど勢いは増すから、そのままひとつだけを、君だけを一生愛すよという思いでどんどんどんどん口径を絞っていってしまうと、愛は勢いを強めていって、


最終的にはどうなるだろう。



射出口を極限まで細め超高水圧で発射された水がウォーターカッターと呼ばれ、鉄をも切断するパワーを持つのは有名な話ではあるけれど、ひとつに固執しすぎる愛もそれに近づきかねない。

果たして愛する相手は刃のような愛を受け続けながら、美しく咲き続けられるでしょうか。


まあ先述の例は極論ではあるのだけど、ここまで行かなかったとしても口径を絞れば絞るだけ対象には当たりづらくなるので、「こっちはこんなに愛しているのにどうして!」という事象が起こりやすくなるし、

口径を絞っていなかったとしても、四六時中注がれ続けていれば花はいつか根腐れしてしまう。


だから同じ量でも、広い花壇でたくさんのお花にまんべんなく愛を注ぐのが良いと思うのです。



花は愛する対象であるけれど、

花壇は自身の豊かさだと思うのです。色とりどりの花を咲かせたい。


フクロウが好きだからフクロウの花!ドン!でもいいけれど、ベンガルワシミミズク、アフリカオオコノハズク、アナホリフクロウ、シロフクロウ、あの店の〇〇ちゃん、SNSでよく見る〇〇くん、

こんな感じで小さいお花がいっぱいなのもかわいいよね。



他にもインドカレー、ビリヤニ、鯖の棒寿司、BLEACH、デレマス、古着屋巡り、イラスト、作曲、ポケモン、抹茶スイーツ、カラオケ……


統一感は無いけれど、わたくし豊かに咲き乱れております。


ただ、豊かになればなるほど財布はひもじくなりがちなので、どれだけ植えるかは自身の裁量で。



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