ライタの価値観

ライタ、ご存じでしょうか。


私が話すことと言えば十中八九食べ物のことなので、ライタもそうなんじゃないの?って思った人がもしいたならば、大正解。


ライタとは、インド料理(中でも特にビリヤニ)にかける、無糖ヨーグルトがベースの、なんだ、調味料?味変食材?のようなものです。


※ビリヤニとは!!!(読み飛ばし可)世界三大炊き込みごはんのひとつ(ちなみに他二つはパエリアと松茸ごはん)。タイ米よりさらに細長い高級米、バスマティライスをスパイスもりもりで炊き込んだ逸品。店によって味や具材、使うスパイスは様々。本格的なところだとかなりクセがあり好みが分かれるが、一度ハマると抜け出せない魔性属性を持つ三島の激推しフードである!


そんなビリヤニにかけるライタでございますが、細切れのキュウリやトマトが入ってたり、スパイシーだったり、水気が多くサラッサラだったり、お店によって様々。これもまた良い。根付いてる感というか、国民食感あるというか。

日本で言うお味噌汁みたいな、玉子焼きみたいな。家庭によって味やアレンジがさまざまな料理って、やっぱ国民食感でるよね。


ライタ、それだけで食べると酸っぱいわ、(モノによっては)辛いわでとてもクセのある食べ物なのだけど、ビリヤニにかけるとあら不思議。

まろやかになってコクや爽やかさも生まれて、もはやライタ無しのビリヤニなんて考えられない。

(追記:ライタ、ちゃんと調べたら「インドのヨーグルトサラダ」なんですって!だから本場ではそのまんまで食べてることもあるそうな。ただ、写真見たらビリヤニについてるものより具材がごろごろしていて”食事”っぽかった)


さて、これだけ話したのだから皆様も今日から”ライタを知ってる人間”です。

お店でビリヤニを注文してビリヤニだけが届いたら、「ライタありますか」って聞いてみましょうね。


いやそもそもビリヤニを注文してライタがつかないなんて時点でその店のビリヤニに対する情熱を疑うべきなんだけども。怒ってもいいまである。いやそれは無いや。


過去、ライタ無しでビリヤニを出すお店に一件だけ遭遇した。

で、ライタありますかって聞いてみたところ、有料だとのたまうものだから絶句してしまったよね。ライタの有無を聞くような奴は例え有料でも欲するということが完全に見透かされていて、めちゃくちゃ足元見てきていた。くうう。

まあ頼んだんですけどもね!!!


ライタは無料で出てきて当たり前、と思っている訳ではないのですよ。むしろめちゃくちゃに価値を感じている。お金を出して出てくるなら喜んで払いましょうとも。

いやね、ただね、ただ、

「ビリヤニ」と「ライタ」を別で考えているっていうところ。その一点に憤りを感じてしまうのよね。分かるかな、いや伝わってない気しかしない、うまい例えがないもんだろうか。


ライタの無いビリヤニというのはなんというか、

例えるならばそう、ケチャップ無しのオムライスのような、醤油の無い寿司のような、めんつゆの無いそうめんのような。

それ無しでも食べようと思えば食べられるけど、やっぱあってこそ完成するというか、無いともうオムライスじゃないじゃん!みたいな。寿司と醤油はセットでしょ!みたいな。

そうめん頼んだら麺だけ出てきて、「めんつゆは無いんですか?」って聞いたら有料ですって言われるのよ。払うけどモヤっとするよね。私はする。


有料だからモヤるんじゃなくて、「そこ別々で考えるの?!」っていう価値観の乖離に、だと思う。


価値観は人それぞれ、と言ってしまえばそこまでだけど、切っても切れない関係の二つを、ニコイチ(死語)のふたりを引き裂いちゃうのはよろしくない。

「ぐり」単売りはしないでしょう。「ぐら」が居てこそでしょう。


要するに、ビリヤニとライタが切っても切れない関係、というところまで人々の周知を広げていかねばってことだよね。

と、なんだかでっかいこと考え始めちゃったのでこのあたりにしたいと思います。

こんだけ連呼したから食べたくなっちゃったなあ。

あ、ライタじゃなくて、ビリヤニが。


ライタ。本来は単体で食べるもの、という真実を知った今もまだビリヤニにかけるものといった認識しかないけれど、

この価値観は今後も変わる気がしないなあ。



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